ドラマ「LEGION(レギオン)」の素晴らしかったところ

 1. レギオンの素晴らしいと思った点の一つは、主人公が30歳過ぎの男性であるということだ。

物語において主人公の年齢設定は最も重要であると考えられる。

 日本では、特にアニメでは10台中心なため、今は壊滅的なつまらなさ。(大人が見れるものではない)

その点、レギオンは視聴者層を意識してか、主人公を30代無職・精神病院入院中で薬物中毒、というド底辺の男にした。これは一つ僕が見て画期的な点だった。

そういうリアルにダメな「のび太」みたいな主人公が実は特殊能力を持っていて、しずかちゃんみたいな(実際だいぶ変わったキャラだった)女性の助けもあり回復していく

そういう、実は男の望む物語でもあった。

大人向けの「ボーイ・ミーツ・ガール」を取り入れて部分が好きである。

 

2. 第二、レギオンは終始「トラウマをどうにかする物語」であるということだ。
早い話しが、エヴァンゲリオン碇シンジが最後まで解決できなかった類の、また、アスカが心を崩壊する原因になったようなトラウマ、それを癒やしに行く旅が何話も描かれる。それは主に記憶の中への旅という形であった。

 

第3は、「強力な悪と不可分な自分」の存在である。レギオンは史上最強の能力者と呼ばれるほどのパワーを覚醒してしまう。しかし同時に彼の中には寄生して意識を操っている存在(シャドーキングと呼ばれる)がおり、彼を恐怖で操ろうとする。後半は、その強力な力と、それに伴う負の存在、悪魔的な寄生者との精神の戦いが展開される。その戦いも、周囲の人間の助けを借りて一応危機回避はされる。

最後の最後まで、主人公の「本当の自分探し」の物語でありながら、視聴者は退屈すること、1話1話脅威の映像美と展開に翻弄されつつ、楽しいジェットコースターに乗っているような気分にさせてくれるのだ。

そしてそのアトラクションから降りた時、視聴者はいままでにないアトラクションへの喜びを得ると同時に、1人の人間の深い心の中を旅した感慨深さを得るだろう。
 実は我々一人ひとりにも必要な旅かもしれない。

 


【30秒版】「レギオン」10.18リリース

短編:「少年B」

少年Bは突然目が覚めた。
土の上だった。
立ち上がって周りを見渡すと、薄暗い夕焼けの中で廃墟が見えた。
ふと気づいた。

自分が誰なのかわからない。記憶がない。昨日何をしていたのかも、子供のころのことも、他人のことも、一切頭の中から思い出すことができない。

まるでいまさっき初めてこの世に産み落とされたかのような感覚である。赤子のように、何も記憶を持たなかった。

混乱しつつも歩き回り、廃墟の方角へと向かう。突如うしろから羽交い締めにされ身動きが取れなくなった。そのまま廃墟の中の薄暗い部屋に置いておかれた。

「お前は何者だ?武器も持たずにこんなところを歩いてるやつなんて見たこともない。誰かに襲われてすべて奪われたか?」

何語で話しているのかはわからなかったが、少年Bはその言葉を理解することができた。記憶は無くとも言葉を理解することはできたのだった。

「わからない。ついさっき、目が覚めた。自分がどこから来たのかもわからない。ここがどこかも。」

「ふん、変な奴め。ここはスカベンジャーの巣窟だ。うかつに近づくものはいない。俺らみたいに強盗をして生きている奴らだ。」


話を聞いていると、わかった。

ここの世界はすでに大規模な災害、戦争によって国家は消滅していた。それどころか銀河の重力干渉による大規模な天変地異、死者が蘇る悪魔の行進。そして大虐殺。

人間、そう、わたしも人間と呼ばれる者の一人らしいが、
人間はほとんど死んでしまった。いま残っている人間は以前の1%にも満たないという。

人類は絶滅しかけており、地球というこの場所ももはや生命の星ではなくなりかけていたのだ。

では、、、、

「では僕はなんなんだ?」
「なんにもわからない」

そして数十年が過ぎ、少年は老人になりかけていた。

 

「今思うと」

子供たちに向かって老人はゆっくりと話しだした。

「私はこの世界に作られたのかもしれない。急に、ある瞬間に、その瞬間に、存在が作られた。
 母親から生まれたわけではなく、その証拠に私にはへそが無い。
 なぜだかわからない。神様が私を無目的に生み出したのかもしれない。だが、わかるのは私が急に存在してしまったことだ。それもいまやもうこの世界は終わりかけている、その時に。」

何かを深く考えている様子で、そして頬に少し涙を浮かべていた。感動なのか、それとも悲哀なのか?それは子供たちが理解するにはまだまだ経験が足りないものだった。

「私はそれを見届けなくてはいけないのかもしれない。体は年老いている。しかし、不思議と感じる。私は死なないんだと。
 私の体は、何度か死にかけてもいつも大丈夫だった。いちど指が切断されたときも、、、蘇った。
 だから私は死なない。病気にもならぬ。
そしてこの世界に存在する理不尽さと、神というものがあれば、その意志を感じながら、残り少ない人間達を看取るのだ。これは苦痛であるが、私がそのあとに何かを為すのかもしれない。まだ私には何も神の声は聞こえないが、何かの意味が私の存在にはあるはずだ。そう信じたい。」


「故なく突然生まれ、死の世界を旅する老人だ」

その言葉はか弱く、諦めを含んでいるようにも聞こえた。

 

数千年後、氷に包まれた地球で、老人はただ一人氷河を歩いていた。どこへ向かうともなく、毅然と、何かを悟ったかのように。

「わかりました。ありがとうございました。やっと休めますね。」

そう呟くと、一瞬で老人の姿は消えた。

氷の惑星地球には、数千年前の廃墟と、まだわずかに生き残っている動物達が残されていた。

現世はスタックしている

現世主義は常に死=無として語る人々とともにある。

死が無であると、確かめもせず決めつけているからこそ、現世の幸せ、現世の快楽にしがみつく哀れな人間達が生まれる

僕は現世主義はスタックしてきていると思う。
現世を否定するのではない。現世を目的とすることがスタック(行き詰まり)なのだ。
現世を適度にかわし、もっと時空の広いスパンで自分の生命、世界の流れ、死後の未知をとらえることこそが、我々の心を静寂と平安に導くのではないか?

という直感がある。

インターネット社会は現世を誇大化させる。だからこそインターネットはスタックしている。

Stack Overflowなのだ。

 

 

閑話休題

 

空いてるスペースがあるので、仮想通貨採掘をやっている。

いまのところ一日で8ドル分くらいの仮想通貨が電気代を消費して生成されている。

これこそ未来の労働である。コンピューターが人間の代わりに通貨をダイレクトに生成するということだ。

こんな未来を予測したSF作家はいただろうか?

そもそもAIはいくらでも予想している作家がいたが、ブロックチェーン技術を予測した作家はいなかったと思う。

インターネット自体が戦後のSFでもほとんど予測されていなかったし、携帯電話止まりである。

ドラえもんですら、インターネット社会は描かれることがない。ツイッターをやっているセワシ君とかインスタ映えを気にするドラミちゃんなどは存在していない。

つまり、未来は常に革新的で、創造性の極致だということだ。

つまらない未来を想像していちゃいけないのだ。想像なんて「たかが人間の脳」のやったことなのだから。人間の脳を信用してますかね?俺は世界のほうを信じる。世界のほうが広大で、生命と死と超えて壮大な世界を作っているのだ。

死は終わりだなんてのはつまらない妄想だ。死は素晴らしい次へのスタートで、その先は誰も予測がつかなかったほど素晴らしい世界なのだ。

EthereumのコントラクトでPayment Channelを実装してるやーつについて

久々の技術ネタ

 

最近はBitcoinも送金手数料が高くなっているらしく、当初言われていたような「マイクロペイメントに使える!!」も無効化されそうな勢い。

 

Ethereumも高騰しているので、何回も何回も送金してたら手数料がかかりまくる。

 

PaymentChannelはビットコイン用に考案されてマイクロペイメントの技術だが、Ethereumにも適用されようとして開発が進んでいるらしい。(Raidenネットワーク)

とは言え、そんなの作らなくてもPaymentChannel作れるよ、と言う記事があった。

 

Ethereum Payment Channel in 50 Lines of Code – Matthew Di Ferrante – Medium

 

Mediumのこの記事が面白そうだったので読んでみた。コードもわかりやすかった

 

Githubに全部載ってる

GitHub - mattdf/payment-channel: Ethereum Payment Channel in 50 lines of code

 

 

AliceがBobに1Tweetごとに0.001ETHを贈りたい。だけど毎回確認して送金してると手数料がバカにならない。

 

Bobも、Tweetしたらちゃんと貰えるのかわからないので不安

 

 

という問題が、コントラクトで解決できたよ、という話でした。

 

手続きは以下の通り

1. Aliceがコントラクトを発行。その時に必要金額全部を送金する。(0.001ETHを100回送る予定なら0.1ETHをコントラクトアドレスへ。

 

2. Bobはそれを確認し、ちゃんとETHがあるとわかる。

 

3. BobがTweetしたのを確認したら、Aliceは自分の秘密鍵で0.001ETHを送るメッセージ付きで署名してBobへ送る(コントラクトを経由せず、別の方法で良い)

 

4. BobがさらにTweetをし続けたら、Aliceは0.002ETHに署名,0.003ETHに署名、と署名付きメッセージを更新してBobへ送信する。 

 

 

出金方法

 

・Bobは任意の時点で出金できる。(Aliceにもらった署名付きメッセージとBob自身の署名をコントラクトに送信する。)

ただし、出金できる量はAliceが署名した時のETHの量までなので、0.001ETHに対してしか署名していなければ0.001ETHしか得られない。

 

・Aliceは任意の時点で出金はできないが。最初に定めた期限を超えた場合には残っている分を全額出金できる。

 

 

以上のやりとりがマイクロペイメントチャネルと同じっぽいので、Ethereum上で実装できたと言えばそうであるような気がする。

 

ただ、より低レイヤーのクライアントソフトレベルでやれるようにしたほうが効率やセキュリティの面でいいのかもしれない。(不明)

 

相対幸福と絶対幸福について雑文

努力に対して見合うリターンが得られるものとそうでないものがある。

それが何かは人によって違う。
万人がこの努力をしたら必ず幸福になれるというのは基本的には無い。

ただそれは相対的幸福論でしかないので、ベネフィットが費用に対して大きいか小さいかの違いでしかない。これは本質的には、価値は相対価値でしかないということを意味している。

つまり基本的には、市場ではかられ、他人に比べてとか、年齢平均値の割にどうだとか、周りがどうだからどうしたいとか、そういったものである。

そこをシフトしている人にとっては実際はいかなる努力も幸福である。

この場合は絶対的価値としての幸福であると思う。つまり自身の内的な価値でしかなく、比較相対ではない。

このような心理に達するには人間は大人になりすぎてはいけない。大人は基本的に相対の動物であるからだ。

大人が市場経済の主な参加者である限り、それは避けられないのではないかと思う。

基本的には、弱肉強食ということにもつながる。弱肉強食はこそ比較相対が生死に直接結びつく世界であるからだ。

では絶対的幸福論を確立することは人間には不可能だろうか?
この世に生きている限りイエスかもしれない。生きるとは比較を避けられない行為である。物質、肉体を持つ限り所有や権力は常に付きまとうのだ。

出家は悪のように語られるが、出家は比較を抜け出し絶対的価値の追求に向かうための方便である。

学問の府こそ出家(出世間)の一つである。利益追求から逃れ、純粋に真理を探究できる場所が出家と異なるはずがない。

滑空①

……洋上を走る滑空機のようなものが見える。
 
それは編隊をなし、地平線のかなたまで何も見えぬだだ広い海を一定の高度で進んでいた。
 
薄く青い煙を不気味に放ちながら、静かな音で進んでいる。
 
「大世界転移」の起こる前、この地球は丸かった。人々は海を渡り、世界を一周することができたという。海と海はただの隔たりでしかなく、多くの国は交易で栄えていた。
 
しかしそれを知るものは今はいない。大昔の航海士だった僕の家系ではその昔の海図を大切に保管していたが、奇妙にそれは平面に書かれていた。その端と端は繋がっていたというのだ。
 
世界が転移して以降、それは数千年も前のことだが、地球は平面になった。いや、それが平面であることを確認できた者はいない。何しろ海の向こうから帰ってきたものはいないのだから。
 
空の向こうには星々があり、宇宙があった。実際に宇宙にいった人々もいたらしい。しかしいまや空は時折明るい時間を持つのみで、星などは見えぬ暗黒の世界だった。
 
科学者によれば、宇宙は物理法則の高次の乱れに見舞われ、いままであった秩序はすべて破壊されてしまったのだと言う。この地球がかろうじて生き残っているのも奇跡かもしれず、またいつこの空間そのものが崩壊するかも予測ができなかった。何しろ数千年前の物理学は一切役に立たなかったのだから。
 
かろうじて重力と呼ばれるものがあり、物質と呼ばれるものがある。そしてなんとか人々は暮らしていた。
 
いま、僕が乗っているこの艦隊は、無謀にも海を渡ろうとしている。無限とも言えるこの世界で、かすかな希望をもとに、精鋭の乗組員たちと、わずかな科学者、戦闘員、そしてなぜか僕を載せて、日夜ある方向へと滑空しているのだ。

ベーシックインカムは「隷属への道」なのか?

働きたくないので、ベーシックインカムには賛成だが、ベーシックインカムのシステムは国家への隷属の道であるとも考えている。
共産主義社会では皆が労働を行い、国がお金を支払う。
しかし、反政府的思想を持つ者たちはそのお金が権力者の恣意的な運用によって支給されず、健康で文化的な最低限度の生活なども無視され、政治犯として収容所送りになったりする。
フリードマンが『資本主義と自由』の中で述べているのは、もし資本主義社会であれば、彼は自分で経済的に自立する手段を確立しうるし、また、寄付などによって彼の政治活動は存続もし得るということだ。
資本主義国家でなければ、政治的な活動を「自由に」行うことができない。
これは歴史を見れば明らかだ。ソビエトや中国で数多くの反政府思想を持つものが追放、処刑され、北朝鮮でも同じようなことが起こっている。
つまり共産主義は独裁への道だったのだ。
ベーシックインカムも実はそのような危険性を孕んでいるのではないかと思う。毎月政府にお金をもらうようになってしまったら、反対運動や言論を自由にすることはできなくなるだろう。
それらの自己規制はやがて全体主義国家への道となるような気がするのである。

 

 

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)

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隷属への道 ハイエク全集 I-別巻 【新装版】

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隷従への道―全体主義と自由

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