承認をめぐる病

斉藤環氏の講演を聞く機会があった。

内容は「現代の若者の心性と現代型うつ病(ひきこもり)」みたいな話

 

現代の若者については何時の時代も語られる。そしてその多くは誤っているようだが、今回は、俗流若者論というより病因論としての若者像である。

 

講演の全体を聴き終わって感じるのは、これは20年ほど前、「エヴァ」が流行した頃とほとんど何も変わってないのではないかということだ。

 

主な内容としては、

・現代の若者(現代社会)におけるコミュニケーション偏重

・他人からの承認によってしか生きる価値を見いだせない「承認依存体質」

 

そしてそれらは平等に存在する能力や資質でないために生じる「格差」

経済的格差ではなく心理的格差としての承認格差である。

そしてそれらに依存する形で、「勝者も敗者も」、このメカニズムに絡め取られているのではないか。それが前景化した(病気としてカテゴライズされた)結果としての「ひきこもり」や「うつ病」などの精神障害こそが「現代型」の心理的病であるという。

 

これに関して、本人が言っていたのは「これはどこか自分が創りだしたただのアイデアで、実際は違うんじゃないか」ということ。つまり実証性に裏打ちされていない仮説的な段階であるということである。ただ、多くの例を見たり聞いたりするにつけこの「承認をめぐる病」という現代社会病理の根幹となる構造について思い至るという。

 

ここ10年と以前と何が違うか?それはコミュニケーションツールの急激な発達と日常への侵食である。SNS、インターネット、携帯電話、から逃れることはもはや自分の意識では不可能であるし、非合理的でもある。

 そこで生じるのは、より可視化される世間と、自分の存在の位置づけ問題の深刻さである。自分の立ち位置、自分が何によって価値付けられるのかということがよりコミュニケーション化され、承認依存構造は再帰的に強化されていく。

 

もはや多くの人間が、無意識に前提としているもの

 

そのような強迫状態が、より格差を固定化し、依存体質を強める

 

 これは今に始まったわけではない。最初に書いたように、私は20年前と何も変わってないと思っている。ツールの変化によってそれが見やすくなっているだけだろうし、あえて言えば「加速」するのだろう。

 1997年にエヴァにシンクロしてたのが少数の先端であるとすれば、現在はその数が増えているのかもしれない。(統計をとれるわけではないが)

 

 また、そのようなベタな承認問題は「面倒くさい」ものとして、一般的なサブカルチャーにおける表現からは捨て去られ切り捨てられていくようにも感じる。まったく文学的価値を持たない大量生産型の消費用製品が作られては消えていく。

 しかし切り捨てられていった人間達は、そのような心は、統計上消えていく35歳以上の「ニート」「ひきこもり」として、今後も存在し続けるのである。

 

謝罪

(うまく書けませんでしたごめんなさい)

↑承認依存

 

 

承認をめぐる病

承認をめぐる病

 

 

「社会的うつ病」の治し方―人間関係をどう見直すか (新潮選書)

「社会的うつ病」の治し方―人間関係をどう見直すか (新潮選書)