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初期仏教と日本仏教。この不可解なもの。

初期仏教の研究は欧米が進んでいるようで日本では戦後まで上座部仏教についてはほとんど情報が存在しておらず、またその経典すら和訳されていなかった (戦後、中村元先生によってかなりの翻訳書は出版されている)

パーリ語のテキストはロンドンのPali Text SocietyというところでWeb公開しており、辞書もある 昨今テーラワーダ仏教ヴィパッサナー瞑想など、ミャンマー系の仏教関係書籍が大量に出版され売れている これらは割りと真っ当な内容を、母国上座部圏)における蓄積をもとに言っていたりするらしいが、まあ色々錯綜している

(ので、私も苦労している)

悟り、五戒律、など根本的な概念についても、従来日本で語られてきたものと必ずしも一致しておらず、宗派対立の火種にはなりそうである。 その場合に問われるのはやはり、日本仏教とは一体何なのか?なんであるべきか?という命題であろう。 特に仏教活動が盛んな宗派や、かなり攻撃的な布教をする団体も多い日本社会において、今後それに関して考え、理論を詰めていかねばらないことも多い(そして、一人ひとりが考えなくてはならなくなるという「ツライ」事態にもなる 坊さん業界では、従来の堅苦しいイメージから、ソフトで親しみやすい仏教を演出して、信徒や一般理解の獲得、寺の存続を図っているように思える。

初期仏教の理解に関しては魚川氏の書籍が限定された内容とは言え、非常に参考になったので上げておく。他にもいろいろな本は出ている。

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

しかしいずれにしろしっかりした基盤や理論実践が見えなければ、ただいたずらに流行の政治言説や世間に受け入れられるような表現ばかりが目立つだろう。根幹となる理念や歴史的空間的重みというのが無いのであれば、それは戦時中の体制迎合の逆パターンでしか無い。 我らにとって宗教とはなにか、という問題は、日本人に縁遠いようにも思える。 しかしまあ世界や歴史の流れというのはあるもので。 そういったことの深層を追っていくというのは一定程度の成果があるのではないかと思っているし、そうしないと生きている実感が得られないということも私的にはある。ただ周囲に盲目的に、アクティブになったとしても、そこに懐疑があるのだ。それは私個人の非常にめんどくさい問題であるが、避けることはできない。私が私である限り。生きている限り。世界があるかぎり。

ふと思ったが、世界には3大宗教というより、5大宗教があるんじゃないかと思う

ユダヤ教キリスト教イスラム教上座部仏教大乗仏教

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