輪廻

テーラワーダ仏教に関して腑に落ちない点がある そもそもこれは宗教なので、輪廻、過去世・来世といったものがア・プリオリに語られている 科学的に考えるならばこれはナンセンスになり得るもので、 そもそも輪廻するための個体の単位は分割可能か 「宇宙始まって以来生物の個体数は全宇宙で一定なのか?」という問題 輪廻が一個体(私)→一個体(来世の私)という1対1対応であるならば、宇宙全体の個体(私達)の数は永遠に変わらないで、減りもしないで、ずっと生まれ変わり続けるのか?という問題 そもそも私という個体ですら、何兆個もの細胞によって形成されており、それらは「個体」である。細胞は生命個体ではないのか?細胞は輪廻的主体ではないという解釈なのか?という問題。 個人的に仏典を全部読んでいないのでわからないが、たしか無記という思想があり、ブッダは超越的真理について語りたがらないというのを読んだ。(専門家の人がそういうことを書いていた) つまり、世界に終りがあるのか無いのかについてとか、世界は丸いか平らなのかについてとか、空間に外部はあるのかとか そういったいわゆる形而上学的問題に関して、仏教はニュートラルな立場を保つ、という理解がある。 が、それもおそらく知識階級にとって受け入れられやすい仏教像なのだろうか?それとも、本当に、研究していくとそういった仏教像にたどり着くのだろうか? いずれにしても、実践的な立場にある人物からは、驚くほど素朴に、ア・プリオリな輪廻思想が語られるので、そのア・プリオリさが僕にとってア・プリオリではなくア・ポステリオリに語られるのかという重大な世界の神秘の問題がありますよ、ね