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【エヴァンゲリオン問題】他人に認められたい?

エヴァンゲリオン問題】

自分は他人に認められて欲しいのだろうか?

または庵野監修アニメ・カレカノ問題

というか表層意識上、他人に認められたいという意識はそもそも無かった。

高校の頃にちょっと有名になったり周りにチヤホヤされたり、大学でも少しそういう目で見られたりして、

「誰かに認められたい」コンプレックスなどというのはほとんど無かったように思う

なのだが、実際、社会生活上に色々問題を抱えてしまったし心理的な問題もずっとある

それは何故だろうか。

まず

①自分が目指しているものと現実の自分のギャップ
②他人(や親)がこうあって欲しいと望む自分と現実の自分とのギャップ
③好きな異性(好かれたい異性)に認められたい自分と現実の自分のギャップ

10代後半〜20代前半で生じた問題は主に1,2に属する。

・自分がありたいイメージ
 能力的に自分がこうあるべきだという過大な要求または周囲の期待、親などの期待、こうある「べき論」によるプレッシャー

・他人がこうあって欲しいと「強く望んでくるイメージ」
 これは他人が勝手に俺に対して「こういうことを考えろ」「こういう人間であれ」
「こういうことはするな」
といった様々な定言命法によって与えられる種々の抑圧、助言、叱咤激励

そういったもの。
これに対しては非常に悩み、半ばそれによって病んだかもしれない

20代中盤それ以降
 他者承認欲求問題。実存的価値問題、私はなぜ生きているのか、生きている価値があるのか。といったこと

・20代で基本的に基盤となるところからある程度離れ、壊れていた感じなので、自分のあるべき像や他人が自分に求める像というのも和らいだ。
 あと結構、諦められたからラクになった

だけど非常に不安定な自己像、否定的な自己イメージの肥大化によって精神的にはよろしくない状況。特に「自分が何かをする」「目標に向かって取り組む」ということに価値を見出していた人生が一気にゼロになったので、そもそも自分が存在している意義すら見いだせない。ただひたすら砂漠を歩いて倒れて死ぬのを待つような心持ち。

最近

・基本的になんで生きているのかわからない

何か役目(仕事など)を与えられてそれを解決するというループに入れたから、日常を生きることはできるようになった。自分の意義とかを何らかの取り組みにすり替えているところは全く解決にはなっていないと思うが、(役目の喪失が存在意義の喪失になるので)、とりあえずそれで息をして気を紛らわして、周囲にも少しは認められるようになる。

・何か大きな目的のために生きる・死ぬこと
 ビジネス上の事業にかぎらず、内村鑑三の言っているような「事業」(人生をかけて残す、目指すもの)に取り組んでいくしかないとは思う。そうしないと生きていることが砂漠かもしれない。ゆるく何も考えずにいられるような人間でもないか。

だが特にこれといって実現したいことも無いので、結局堂々巡り

今の世の中、社会起業とか、ビジネスで社会貢献とか、NPOとか、なんでもかんでも社会貢献したいような動きが多くてね

「僕はエヴァに乗っていなきゃなんの価値もないんだ!!」(碇シンジ

他人に貢献しないとボクの存在価値なんて無いんだ。

そういう心が強いのかな