日記:「彼氏彼女の事情」と「オブリビオン」:「庵野秀明の事情」
昨晩見た「彼氏彼女の事情」の18話の影響で、精神的ダメージを受けてうなされた件
飲酒後うつの影響もありそうである・・・。
創価学会バーなるものに行ってしまったのが原因か。罰を受けた
脚本はオリジナルで、監督が理系出身の建築系の人で、非常によくできているSF作品だ。
ローマの詩人ホラティウスの引用などもあったりしているし、この物語構造自体が神話的モチーフだ。
Oblivion=忘却 という意味だが、主人公が忘却していた過去の自己、真実の自己に目覚めるというテーマは普遍的な神話性を放っていて、泣けてくる。
世界は実は自分が思っていたものと正反対だった、ということに気づく話であるし、よくできている。
「彼氏彼女の事情」はED曲からもわかるように、「夢の中へ 行ってみませんか?(理想的恋愛と家父長制の幸せな世界)」というテーマだと気付いた
エヴァンゲリオンが徹底的に「夢から現実へ叩きだされる」話だったのに、このカレカノでは、見事に主人公の青年が女の子に癒やされていっている。これはたちの悪い夢だ。こんなの少女漫画の幻想だ、と庵野秀明はどこまで思っていたかしれないが、エヴァでは描けなかったそんな「夢」が、彼の創作を刺激していたのだろう。
以降、「ラブ・アンド・ポップ」などの実写作品では、援助交際する女子高生を描いてみたりしていて、「リアルな女の子の心なんてこうだよね」という勢いで作っている
徹底したリアリズムというのはシン・ゴジラでも発揮されているが、そのリアリズムにはまず、夢への退行も含まれているのだ。
「エヴァンゲリオン:破」が、本当はそうであって欲しかった「シンジ君」を描いた夢であったとすれば、「エヴァンゲリオン:Q」は、夢を破壊して現実をつきつける意味のある作品だった。
では、シン・エヴァンゲリオン劇場版はどうなるのか?
夢の世界に帰ることは無さそうだ。それえが夢だとわかっているのだから。
ならば、リアリズムの果てにある世界、それは夢だか現実だかわからない世界だが、それを描くために庵野秀明は旅をし続けなければならないのだろう。
「いまを生きる」というテーマは繰り返し繰り返し突きつけられ、キャラクターである碇シンジは、繰り返し繰り返し、幸福の絶頂感と絶望の間をさまよい続けるのだ。