メモ:「<オタク>の逆襲」

「<オタク>の逆襲」というタイトルで短い文章を書きたくなったが、適当にメモ。
 
<オタク>とは90年代に「オタク」と呼ばれていたものであり、今の時代の「オタク」という言葉の意味するものとは異なる。
 
つまり80、90年代にあったオタクカルチャー、SFカルチャーが一度軽く死んだ。
 
しかし、いま復権しつつあるのではないか、という話
 
最近上映された「BLAME!」の映画版を見て思った(原作とは印象がわりと違ったけど世界観は一緒)
 
これはNetflix配信も決まっていて、海外にもファンが多いらしい
 
 
などなど、熱い作品がいっぱいあったのに、なぜいまのアニメは「つまらない」のか
 
答えは一つ
 
「日常系」だから。
 
アニメは大衆化し、陳腐化した。
 
そしてかつてのアニメに「オタクが熱狂した成分」とは何か。
それは
「世界への総合的な理解、世界への総合的な改変の欲望」
であると考えている。
 
政治や国家、戦争、SFによる未来の破滅した地球の描いていたものはまさにリアルからの延長で、切迫した想像力が生み出したものだ。
 
いま閉鎖しているように感じるその想像力は、90年代を過ごした世代、それ以前からいた世代によってまた再生産される。
 
文化はこのままでは死ぬというか、まったく面白くない。海外ドラマを見ていたほうが面白い
海外の映画を見ていたほうが面白い
 
しかし虐殺器官BLAME!を見ると、
 
「日本人だけでほぼ作ってるアニメ」であり、なんだこの単一民族国家、やばいなと思う
 
世界中の才能が集結しているアメリカの西海外でさえ作れないものがここにある。そしてそれらは90年代にすべて源流があった。
 
そう思うと、なんとも不思議な反動を感じる。
 
行動が大事だと言われてデモがあり、それがうまくいかないことや、そもそも世界像・政治像を失った市民たちは日常系のドラマやアニメに退避した。自分たちの幸せを守ることすらできず、政治や国家、世界に対する創造性を失っているのだ
 
あと小島秀夫もいるんだけど、彼は50代だから庵野秀明と同じくらいの世代、それくらいの時代を生きた人間の政治的な経験とか歴史のリアリティがいまの作品の源流になっている
 
あとは単純にSFが黄金期だった。様々な一流作家がすごいSFを作ったり、映画化されていた時代。
 
それもいまの時代状況とだいぶ違う点である。ハリウッドがつまらなくなったということだけど。良質なSFが減った
 
見る人も少なくなった
 
【ポリゴン・ピクチャアズ 守屋秀樹氏 × Netflix ジュリアン・ライハン氏トークイベントレポート】 劇場上映・Netflix配信を同時に!「劇場∞Netflix」プロジェクト - クリエイターのための総合情報サイト CREATIVE VILLAGE