無との戦い

(注)【WARNING】

生産性の一切無いことを書いていますし面白くもないことですので読みたくない方は読まないでください。

 

 

 無との戦いに挑んでいる。無とは欠如である。やる気の欠如、欲望の欠如、願望の欠如。そしてまた願望の叶わなさへの悲嘆・失望。限りない羨望。

 

 僕は過去の僕を羨望している。過去の僕は輝いていた。そう感じる。なぜならば、過去の僕にはやりたいことがあったし、それなりに同級生からの憧れの目もあったし、好きな彼女もいたし、人生の展望があったように思うし、何より絶望が無かった。絶望を知らないことが幸福であった。

 しかしいまやそれらの過去は消え去り、34歳の虚しい独身男性として生きている。なぜか。なぜなのか・・・・。それはわからない。なぜこうなったのかわからない。なぜ生きているのかもわからない。なぜ自殺しなかったのかもわからない。これから自殺しないのかもわからない。

 そして今や若い頃の気力も消え失せ、読書などに頭を使うことも、感動を覚える事もなくなり、日々の仕事にも十分なパフォーマンスを出せずに汲々としている。そんな冴えないオジサンになってしまったのだ。なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?なぜか?

 

 

・・・・わからない。

 

全てはうつ病になってしまったことが始まりのようにも思えるし、そもそも自分の性格では鬱病になることが運命付けられていたのかもしれない。

 

ここで僕は手が止まる。これ以上書くことが思いつかない。この醜い独白に何らかの意味を見出すこともできない。今日はただの平日だし何も特別なこともないしこんな手記を書くほどの意味もない、ただの平凡な一日である。

 

ここまで書いて思うのは、「無との戦い」と題してなにか大したものを書こうとした自分のアホさ加減である。そして自意識ダダ漏れ会場と化したこの日記にも、ややうんざりし始めている。消してしまうべきか?いやもうちょっとなにか高尚なことを考えて書くべきか?それにしてもいま思いついたことを手が動くままにダラダラと書き連ねているだけなのでそれも叶うまい。

 

無。無である。とにかく心に空虚感が巣食うのである。いや、なにかとてつもなく不味い状況にあるというわけでもない。自分で言うのもアレだが最近は金が稼げているからこのままお金も貯めようと思えば貯まるだろう。何が無なのか?何が不満なのか?

 

それはなにか心底心酔して取り組むものが無いからである。日々の仕事もつまらなく感じているからである。自分がやりたいと思ってやってきていたこと、展望し将来を希望しやってきていたことが意味をなさなかったためである。

 

過去に囚われている。過去の囚人である。そして未来に何も見いだせないでいる。取りも直さず現在に、現在に何も価値が見いだせないでいる。成長や自己実現などが見いだせないでいる。無とはなにか。無の何が問題なのか。何を持って「無」と名付けているのか。欠如、欠如、欠如のみがそこにある。

 

ここまで書いて話のオチがつけられないで困っている。とにかく虚無感というものを吐き出したいだけのオナニー会場だったのかもしれない。

 

なにか物語、自分が心酔できる物語が欲しい。自分の気分を一気に高めてくれる何かが欲しいのだろう。それが仕事でも人間相手のことでも何でも良いのだと思う。ただ、今の自分にはそれらが無いのである。それをもって無としている。

 

読書の感想を書くわけでもなく、社会問題や政治について批評するわけでもなく、アニメや映画について語るわけでもなく、ひたすら「気持ちの悪い自分語り」に陥っている。これじゃ全盛期の滝本竜彦や劣化版太宰治じゃないか。そんなやつは死んでしまえ!!!

 

この文体はますます滝本竜彦に影響を受けていると思い、自分の成長の無さに愕然とした失望の念を抱きました。

もうダメだ。これ以上書いても何も気の利いたことが出てこない。出てきそうにない。

 

 ということで最近観た海外ドラマのについて少し書く。

 

「ウェスト・ワールド シーズン3」

 全ての人間がAIによる未来予測によって支配されるようになった世界を描いている。主人公の一人であるアンドロイドは、そのような人間世界を破壊し自分が新世界の神になろうとする。それに支持し付き従う人間も、閉塞感の漂う社会を心底憎んでいた。

 そして革命を起こすのである。社会システムの中央であるマザーAIの破壊という形で。

 こう書いてみると陳腐なストーリーにも思えるが、そこはアメリカ流の脚本と脚色で引き込ませるものがあった。何より、社会の閉塞感というものをうまく表現し、人間のもつ虚しさをうまく表現していた。自分の心に突き刺さるようなドラマであった。

 続編があるのかはわからないが、期待したい。

 

 https://www.youtube.com/watch?time_continue=116&v=Yl8Xp5DPxEk&feature=emb_title

 

 

 ということで気を紛らわせたところでおしまい。これで良かったのかというと全然良くない。今日はなぜか「大学生が恋人とセックスする理由」みたいなテーマの研究論文を見て感心していた。実にくだらないものだ。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsyap/29/1/29_29/_pdf