男らしさと弱さ

「男らしさ」が苦しい男たち。なぜ男性は自分の弱さを語れないのか? https://www.buzzfeed.com/satoruishido/otoko-mondai?utm_term=.hcb2xpadX

 

これを読んでの雑記。

 

歴史的に言えば、文学(文字表現に限らず)は弱音を吐く場所の一つだったと思う。

 

文学や映画なども基本的には男(みんな嫌いな「おっさん」達)がマジョリティで制作される世界なので、そこでの男の自意識の中には当然苦痛を語る当事者がいる。

 

 その饒舌さというのも基本的には文学やサブカルチャーでしか引き受け先がないので、うまくそれを表現した作品(エヴァはまさにそのキラーコンテンツ。あと新海誠。)が大ヒットしたりする。(太宰治とかはどの程度かよくわからないが。)

 

2000年以降自意識系やセカイ系(まさに新海誠!!!)として揶揄され殺されてしまった当事者の弱音というのは確実にあって、以前抑圧構造を保ったまま存在し続けている。

 

参考

https://togetter.com/li/1022432

 

@hazuma

シン・ゴジラ君の名は。を見て思ったのは、ひとことで言えば、オタクの時代は終わったんだなということですね。第一世代のガイナックス系オタクと第二世代のセカイ系オタクの想像力が、同時に社会派になりリア充化し、オタク特有のぐずぐずしたどうしようもない部分がすっぱり消えた。

 それはいいことなのかもしれないし、悪いことなのかもしれない。いずれにせよ、長い間オタクコンテンツを見てきた1971年生まれの人間としては、今年はのち転機として振り返られる年になるだろうなと思い、自分の人生と重ね個人的にいろいろ感慨を深めました。

セカイ系美少女ゲームの想像力がリア充キャラを主人公に据えることで奇妙にも国民的評価を得てしまった、という渡邉くんの分析はまったくそのとおり。ただぼくは、この「あと」になにが来るかという点では楽観的ではない。君の名は。は、一つの時代の始まりというより終わりを告げる作品に見えた。