滑空①
ベーシックインカムは「隷属への道」なのか?
働きたくないので、ベーシックインカムには賛成だが、ベーシックインカムのシステムは国家への隷属の道であるとも考えている。
共産主義社会では皆が労働を行い、国がお金を支払う。
しかし、反政府的思想を持つ者たちはそのお金が権力者の恣意的な運用によって支給されず、健康で文化的な最低限度の生活なども無視され、政治犯として収容所送りになったりする。
フリードマンが『資本主義と自由』の中で述べているのは、もし資本主義社会であれば、彼は自分で経済的に自立する手段を確立しうるし、また、寄付などによって彼の政治活動は存続もし得るということだ。
資本主義国家でなければ、政治的な活動を「自由に」行うことができない。
これは歴史を見れば明らかだ。ソビエトや中国で数多くの反政府思想を持つものが追放、処刑され、北朝鮮でも同じようなことが起こっている。
つまり共産主義は独裁への道だったのだ。
ベーシックインカムも実はそのような危険性を孕んでいるのではないかと思う。毎月政府にお金をもらうようになってしまったら、反対運動や言論を自由にすることはできなくなるだろう。
それらの自己規制はやがて全体主義国家への道となるような気がするのである。
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暗号通貨と自由
ゲームプレイ用に買ったグラフィックボードで仮想通貨のマイニングも始めた。
久しぶりにやっている
Zcashという匿名性の高い謎のコインがあり、それがそこそこ掘れるらしいからやってる。
いま1コイン単位で2万円くらいになっている
最近のここらへんの話題はついていけてないので頑張って勉強しないといけない。
匿名技術というのは今の世界で重要なテーマになっていて、もちろんそれは政治的な背景を強く持っている。
プライバシーの権利を侵害することが堂々と行われている事実があらわになってきて、保安のために個人の自由を侵犯しているところだ。
ビットコインや暗号通貨技術の大きな特性は、その匿名化技術にある。または、単純に言えば、現代ではAmazonで買ったものはそのデータを調べれば政府が簡単にわかってしまう
送金購入手段、履歴データを政府が抑えるということは何を意味するか?
これは経済的自由の侵害である
ミルトン・フリードマンはその著書『資本主義と自由』の中で、経済的な自由権の喪失は政治的自由を失うことになると述べ、共産主義勢力を攻撃した。
それと同じことが、いま「資本主義国家」で行われようとしている。ポスト資本主義国家は監視をベースにした経済的な不自由、個人の思想や活動への過大な干渉、政府による恣意的な制裁。つまり権力の乱用という事態に至っている。
経済的自由<=> 政治的自由 <=>思想・言論の自由 <=>内心の自由 <=> プライバシーの権利
などと複雑に相互は絡み合っていると考えている。
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メモ:「<オタク>の逆襲」
映画「Moonlight」を観た感想
「Moonlight」はアメリカの貧困地域の黒人コミュニティを描いている
主人公の少年がいかにしていじめられて無気力になって成長していくか、という描写をひたすら描く。ゲイであることは問題の一部でしかないかもしれない。
そういう意味で、イデオロギーばっているわけでもないし、なにかの道徳性を押し付ける映画でもなく、結論がハッピーであるかもわからない。それがすごく良いと思った。
アメリカという国で、白人と黒人で分断されているというのもよく描かれている。白人の人物はほとんどゼロ。貧困地域で、黒人しか出てこない映画なのだ。現代のアメリカを描いた映画なのに。
これがアカデミー賞??って前半は思ったし、アカデミー賞と聞いていなければ20分くらい観て辞めてしまうだろうなと思った。黒人社会のドキュメンタリー風映画だから娯楽性は少ない。それこそ「ラ・ラ・ランド」みたいなミュージカル演出もエンターテイメントな演出も皆無。恋愛も皆無。本当に皆無なのである。
でも、これがアカデミー賞に選出された理由は見終わってよくわかった。これは文句なしに素晴らしいなと。
いまのアメリカだからこそ、こういった「苦しむ人間の姿」を人種的な偏見や性指向の偏見への差別を踏まえて、空気を写しているかのように、自然と、ウザくなく描写する。だけどどうなるのだろうと観客すべてが息を飲む。
そんな映画なのだ。
日本人だから黒人社会のことなんて見たことも無いしわからないけれど、そこで描かれているのははるかに政治を超えた政治のように思える。
黒人のための黒人による映画。
すべての人種、差別を受けている、それでも死なずに生きている人のための映画。
上映部屋も小さく。人は多くなかった。カップル向けでも無い。
受賞後の日本版のPVは反吐が出る作りだった。
受賞前のコレのほうがいい
男らしさと弱さ
「男らしさ」が苦しい男たち。なぜ男性は自分の弱さを語れないのか? https://www.buzzfeed.com/satoruishido/otoko-mondai?utm_term=.hcb2xpadX
これを読んでの雑記。
歴史的に言えば、文学(文字表現に限らず)は弱音を吐く場所の一つだったと思う。
文学や映画なども基本的には男(みんな嫌いな「おっさん」達)がマジョリティで制作される世界なので、そこでの男の自意識の中には当然苦痛を語る当事者がいる。
その饒舌さというのも基本的には文学やサブカルチャーでしか引き受け先がないので、うまくそれを表現した作品(エヴァはまさにそのキラーコンテンツ。あと新海誠。)が大ヒットしたりする。(太宰治とかはどの程度かよくわからないが。)
2000年以降自意識系やセカイ系(まさに新海誠!!!)として揶揄され殺されてしまった当事者の弱音というのは確実にあって、以前抑圧構造を保ったまま存在し続けている。
参考
https://togetter.com/li/1022432
@hazuma
「シン・ゴジラと君の名は。を見て思ったのは、ひとことで言えば、オタクの時代は終わったんだなということですね。第一世代のガイナックス系オタクと第二世代のセカイ系オタクの想像力が、同時に社会派になりリア充化し、オタク特有のぐずぐずしたどうしようもない部分がすっぱり消えた。
それはいいことなのかもしれないし、悪いことなのかもしれない。いずれにせよ、長い間オタクコンテンツを見てきた1971年生まれの人間としては、今年はのち転機として振り返られる年になるだろうなと思い、自分の人生と重ね個人的にいろいろ感慨を深めました。
セカイ系と美少女ゲームの想像力がリア充キャラを主人公に据えることで奇妙にも国民的評価を得てしまった、という渡邉くんの分析はまったくそのとおり。ただぼくは、この「あと」になにが来るかという点では楽観的ではない。君の名は。は、一つの時代の始まりというより終わりを告げる作品に見えた。
」